隣の畑のおばあちゃんの話
2014年8月17日(日)
こんにちは、inakaboyです。
今日はひとつ、思い出話を書き記して置こうと思います。
僕の記憶は残念なことになくなりやすく、
きっと何年後かには忘れ、それほどの感動を思い起こさないものとなるからそれに備えて。
僕の家の裏にはちょっと大きめな畑があって、
ご近所さんの畑とも隣接してたりする。
そのご近所さんのおばあちゃんの話。
おばあちゃんはいつも畑に来ていて、
楽しそうに畑を耕して野菜を育てているんだよ。
だから、僕も自分んちの畑に行くとき、そこにいれば、
「こんにちは〜!」
って声をかけるんだけど、
そのとき、いつも僕に生きることについて感謝の言葉を伝えてくれた。
「ここまで元気に生きてこれて、本当にありがたい」って。
ついでに「池田町に帰って来てくれてありがとう。池田のこと何とか頼むなぁ」っても言われた。←おばあちゃん、僕のこと買いかぶり過ぎですよ。
そして、僕は2014年4月から池田町の社会福祉協議会というところで働き始めた。
そこではふれあいサロンというお年寄り同士が交流できる場を作っていて、
おばあちゃんもそこに来ていた。
なんだか知り合いの人にプライベートじゃないところで会うと、
少し恥ずかしい気もしたのだけど、
おばあちゃんは「知ってる人が見てくれて嬉しい」って喜んでくれたんだよね。
嬉しいって言葉が恥ずかしさを消してくれました。ありがとう。
その後、おばあちゃんはふれあいサロンには来なくなり、
たまに畑で見かける程度になった。
畑で見かけて話して、ちょっと具合が悪いことも知った。
それでも、いつものように、
「ここまで元気に生きて来れて、本当にありがたい」
って僕に言うのさ。孫の結婚式がもうすぐあるし楽しみだっても言ってた。
また暫く会わない時間があって、
次に会ったのは、ふれあいサロンの時間が終わって、
参加者のおばあちゃんが休憩している中にそのおばあちゃんもいた。
社会福祉協議会の入ってるほっとプラザの横には診療所も併設されていて、おばあちゃんはそこに行ったあとだったみたい。
僕はいつものように、おばあちゃんに声をかけたら、僕は謝られた。
「せっかく池田に帰ってきてくれたのに、サロン出られんくてごめんなぁ。
はよ治して帰ってくるでなぁ」って。
僕はそのとき、おばあちゃんの病気が治らんやつって知ってたし、
どうしようもない気持ちになった。
こんなときどうしたらいいんだろうね?
こんな適当な応えをした。
「そうやで、はよ治してサロン出てな(笑)」
また暫くして次に会ったのは、先月末くらいだったかな。
今度は診療所の前で。
おばあちゃんは自分のことをみっともないと言っていた。
食欲もないし、骨と皮だけやと。体を見せてあげたいって言ってた。
僕の目から見てもほんとうに痩せてしまっていた。
それでも、おばあちゃんは、
「早く治して帰ってくるでな」
僕にそう言った。
「そうやで、はよ治してな」
それから、僕はおばあちゃんに会っていない。
そして先週8月15日の金曜にお通夜があった。
おばあちゃんは治らなかったし、
これからおばあちゃんに会うことは二度とできない。
僕らは確実に死に向かって生きている。
毎日、死にたくないと思える人生を歩みたい。
死んで欲しくないと思ってもらえる家族・友人に囲まれた人生を歩みたい。
「おばあちゃん、僕はまだ死んで欲しくなかったよ」
ご冥福をお祈りいたします。