必要なのは好奇心と国語力とコミュニケーション力。
2016年7月2日
人は誰かに教えてもらわないと何もできないのでしょうか?
そんなことはないということを、スガタ・ミトラさんがTEDトークで話しています。
小さいころ、知らないことを知るために買ってもらった国語辞典で言葉を調べて理解していませんでしたか?
今では、一人一台のパソコンもしくはスマホを持っており、国語辞典ではなく、そのコンピューターを使いGoogleを使いこなすことで、ほとんどすべての情報にアクセスすることができます。誰でもほぼ等しく知らないことを知る機会が与えられています。
手段も機会も与えられている今、その情報にアクセスするか否かは自分次第。その情報にアクセスするという行為は自分のなかから湧き出る好奇心からでしょう。アクセスできたとして、それを十分に理解する国語力がなければ、知識を身につけることはできません。分野ごとに専門用語があるので、一つ一つ専門用語を読み解いていくのはとても賢い人を除いて、私のような人間にはいくら時間があっても足りません。
そこで、専門外の人であって理解できるようサポート役が必要になり、そこでコミュニケーションが生まれます。対話の中で、いったん自分の頭の中で考えるというプロセスを経ることで、その知識が自分のものとなるように思います。
今日はザ・セカンド・マシン・エイジを読み、コンピューターによって人から単調な仕事が奪われる世界が目の前に迫っていて、そのなかで自分や自分の子供がこれからどのようなスキルを身に着けていかなければならないか考えました。
仕事がないと、個人だけでなく社会全体も困ったことになる。社会学者のウィリアム・ジュリアス・ウィルソンは、1996年に発表した著書『仕事がなくなるとき』の中で、次のような明確な結論を下している。
仕事のない地域は、貧困な地域よりも悲惨な運命をたどる。人々が貧しいながらも仕事にありついている地域の環境は、貧しいうえに職のない地域の環境とは全く異なる。都心中心部のスラム地区が今日抱える問題の多く、すなわち、犯罪、家庭の崩壊、福祉や社会的つながりの欠如などは、基本的には仕事がないことに起因する。
より多くの情報を自分の知識として使いこなせるようになるには、好奇心と国語力とコミュニケーション力が必要でしょう。
新しいことを創造することは今のところコンピューターにはできません。本を読み(インプット)、人にその情報を教え合う(アウトプット)、そのなかで新しいアイデアやコンセプトを発想し、仕組み化する。
ルールや枠組みを超えて新しいことができるのは人間だけ。
好奇心と国語力とコミュニケーション力で新しいことを創造していきましょう。その先に希望がある将来があると思います。